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しごとおわりにちょっとしゃべっていくところ。
るひま作品で扱ってる時代で調べ物してたんだけど。
史実だけでなく伝承も含めて歴史をつないでもいい場合。

秀衡の命を受け、海尊が義経の遺児・経若を常陸入道念西に託す。
この念西が伊達家初代当主の伊達朝宗(政宗の先祖)という説。
伊達政宗の正室愛姫の実家・田村氏は坂上田村麻呂の末裔とされる。
田村氏は秀吉の奥州仕置で改易されたが、愛姫の遺言により再興。
田村氏は後に、元禄赤穂事件で刃傷に及んだ浅野長矩(内匠頭)の身柄預かりを幕府より命じられ、浅野は田村家で切腹した。
田村家で片岡源五右衛門が浅野に最期の目通りをしたという説(これは正式な記録にはないので記録者の虚言の可能性もあるが、ドラマなどではよく使われるシーン)(大江戸鍋では浅野の殿の切腹シーンで奥に控えている)。

というふうにつながってきたので僕は私は。
三上・矢崎・辻ちゃん・まぁくんのキャラがめっちゃつながる。
浅野の殿の切腹は大江戸鍋的にはあれなんだけど、そこは置いておこう。置いておきなさい!それでも三平は死んだよ!!死んだ!!!

るひまベースの調べ物はたのしい。
今回は田村家に驚きました。

数年前、山本先生の赤穂事件の本を読んだ時に浅野がお預かりになったのは田村家ってちゃんと読んだんだけど、その時はまだ田村麻呂を心に置いていなかったので(納祭が存在しない時点)普通に「知らない田村さん…」と流してしまった。だってわからないよ田村って言われても!
納祭後は「あの田村って田村の田村なんだ!?」ってなる。
愛姫の田村家ってだけでおおってなるのに、江戸時代までくだって浅野の一件もあったのにはヒエ~ってなったよ。


ところで片岡源五右衛門について。
大江戸鍋本編の表面上ではわかりにくいんだけど、wikiにも「赤穂藩では側用人・児小姓頭をつとめ、浅野長矩から最大の寵愛を受けた。」とあるように浅野の殿から大変かわいがられていた人なので、他のキャラより、なんというかこう、距離が近かったんですよ殿と。
ことあるごとに「げんごえも~ん!」って呼ばれてはいたけど、わかってる人じゃないとほとんどわからない程度の表現だった。
上映会のリーディングではその特別感がやや感じられる。

ちなみに柳沢は「江戸時代前期の幕府側用人・譜代大名。第5代将軍徳川綱吉の寵愛を受けて、元禄時代には大老格として幕政を主導した。」と書かれてて、彼も綱吉に相当かわいがられた(贔屓って言われる)わけだけど、その表現を超える浅野の殿の「最大の寵愛」ってなんかすごいね。最大なんだ~。最大?
寵愛をはかる規模がわからないぜ。

さらについでに牧野(アワレンイエロー)のwiki「苦悩」の項の
「綱吉の寵愛が柳沢吉保に移りつつあった頃は、苦悩を深めたとする説がある。」は見なかったふりをしてウィンドウそっ閉じする。
これ以前にも書いた気がするけど、ツボに入る(やめたれよ)
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